2007年 08月 09日
山下敦弘『天然コケッコー』 |

ストーリーにしてもそうで、全体を通して、さして大きな事件は起きない。おそらく「何も起きない」という批判をするむきもあるだろう。しかし、これも現実の世界では当たり前で、外的な要素というものはそうそう変わらない。正確に言えば、何も起きていないというのは間違いで、常に起こっている何かを感受できないということだと思う。「ロードムービー」というものは、旅を通して自己が変化し、それに伴って世界の見方が変わる映画のことを指すと考えている。その意味で、『天然コケッコー』は二つのロードムービーと言いたい。岡田の場合は「都会から田舎へ」という旅を通して自らの中にある「田舎性」を発見し、夏帆の場合は「田舎から都会へ」という旅を通して自らの「都会性」を発見するのである。相互理解とは、言い換えれば、自らの中にある「他者性」を発見するということなのである。
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by sound-and-vision
| 2007-08-09 21:44
| REVIEW