2007年 12月 12日
スタジオボイスで振り返る2007年(その2) |
いわゆるチープ革命によってコンピュータが廉価化し、音楽制作にコンピュータが全面的に導入されて以降(要するにトータス以降)、誰もがテオ・マセオやマーカス・ポップになったわけだし、ナップスターの登場は音楽をデータベースとして目の前に提示することとなった。これを境に音楽がポストモダン期に入ったという感覚を抱く人は多いと思う。にもかかわらず、ここ数年、いい音楽(≒批評性のある音楽、革新的な音楽)が生まれないのはなぜだろうか。たしかに2005年あたり(ここは人によってバラつきがあるだろうけど)まではポストモダン期に入った音楽を「ポストモダン・ミュージック」として消費する傾向はあったし、事実、それだけで楽しめる部分はあったにはあったのだけれども、そろそろその消費スタイルだけでは楽しめない段階まできていると思う。
何にしても同時代性というものは大事にしたいし、その時代に聴くからこそ最も面白いという表現は必ずあると思う。オールドスクールのヒップホップだって、今ではノスタルジーを想起させるけれども、当時は超革新的な音に聴こえたはずだ。そういう衝撃的な音楽が生まれる現場に立ち会いたい気持ちで新譜を聴いていたけれど、2007年はそういうものに出会えなかった。
もはや、「オシャレ」とか「カッコイイ」とかいった評価基準でしか音楽は聴かれない。けれども、それはリスナーだけの問題ではなく、クリエーターに起因する問題も多いと思う。僕としては「オシャレ」とか「カッコイイ」という空虚な基準で音楽を聴く時間的・金銭的コストがはっきり言ってもったいないし、他のことに使ったほうがよっぽど有意義だと思う。
音楽から距離を置きはじめ、このブログタイトルを「素晴らしき音狂世界」から今のものに変更したのもそんな思いがあってのことだ。
ここまで書いてやっとはっきりしたのだけれど、僕が求めているのは「ポストモダン・ミュージック」ではなくて「ポスト・モダンミュージック」なのだと思う。
何にしても同時代性というものは大事にしたいし、その時代に聴くからこそ最も面白いという表現は必ずあると思う。オールドスクールのヒップホップだって、今ではノスタルジーを想起させるけれども、当時は超革新的な音に聴こえたはずだ。そういう衝撃的な音楽が生まれる現場に立ち会いたい気持ちで新譜を聴いていたけれど、2007年はそういうものに出会えなかった。
もはや、「オシャレ」とか「カッコイイ」とかいった評価基準でしか音楽は聴かれない。けれども、それはリスナーだけの問題ではなく、クリエーターに起因する問題も多いと思う。僕としては「オシャレ」とか「カッコイイ」という空虚な基準で音楽を聴く時間的・金銭的コストがはっきり言ってもったいないし、他のことに使ったほうがよっぽど有意義だと思う。
音楽から距離を置きはじめ、このブログタイトルを「素晴らしき音狂世界」から今のものに変更したのもそんな思いがあってのことだ。
ここまで書いてやっとはっきりしたのだけれど、僕が求めているのは「ポストモダン・ミュージック」ではなくて「ポスト・モダンミュージック」なのだと思う。
by sound-and-vision
| 2007-12-12 15:12