2007年 08月 28日
アルフォンソ・キュアロン『トゥモローワールド』 |
『トゥモローワールド』は観る価値のある映画である。人類が生殖機能を失って18年。2027年、英国一国だけがかろうじで国家としての体裁を保ち、英国以外の人々を「不法移民」と
して扱う世界で、不法移民のテロ集団に属する一人の黒人女性が子供を身ごもり・・というストーリー。
多くのハリウッド大作が、けたたましい音響と過剰な映像効果、そしてカット割によって、結局のところ何が起きているのか画面を観ても判らないという疎外的状況であるのに対し、「トゥモローワールド」のアルフォンソ・キュアロン監督はこの「キャメロン的画面」から遠く離れたとこに存在する。キュアロン監督はケチに違いない。言うまでもなく、いい意味でである。おそらく、この作品はおそろしく低予算で撮られていると思う。カネをかけたシーンは余すことなく観せる。インディペンデント映画にとって生命線ともいえるこの鉄則をこの監督は未だに持ち続けている。ハリウッド大作は、スペクタクル映画を標榜するがゆえに、スペクタクルから遠ざかる。『トゥモローワールド』は低予算ゆえに、スマートなスペクタクル映画になる。
作品ラスト近くの5分ほどの長回し。この作品の中で初めて(正確には初めてではない)上下の運動が強調されるシーンが素晴らしい。このときのカメラは何人称の視点か。「ゼロ人称」あるいは「四人称」、「X人称」でもいいだろう。自我を持ったカメラは、「私」「あなた」「彼/彼女」のどれにも属さない「ゼロ人称」の眼差しである。自我を持ったカメラにとって、カットを割ることは「まばたき」と同義である。このシーンで監督はカメラのまばたきを禁止する。当然ながら、それを観る我々もまばたきは許さない。これこそ、映画と観客の理想的な関係ある。カネをつぎ込んで最新技術を駆使すれば一大スペクタクル映画が撮れると勘違いしているハリウッドの巨匠方には、『トゥモローワールド』を観ることで自らの傲慢さに目を向けてほしい。もちろん「まばたき」なしで。
して扱う世界で、不法移民のテロ集団に属する一人の黒人女性が子供を身ごもり・・というストーリー。
多くのハリウッド大作が、けたたましい音響と過剰な映像効果、そしてカット割によって、結局のところ何が起きているのか画面を観ても判らないという疎外的状況であるのに対し、「トゥモローワールド」のアルフォンソ・キュアロン監督はこの「キャメロン的画面」から遠く離れたとこに存在する。キュアロン監督はケチに違いない。言うまでもなく、いい意味でである。おそらく、この作品はおそろしく低予算で撮られていると思う。カネをかけたシーンは余すことなく観せる。インディペンデント映画にとって生命線ともいえるこの鉄則をこの監督は未だに持ち続けている。ハリウッド大作は、スペクタクル映画を標榜するがゆえに、スペクタクルから遠ざかる。『トゥモローワールド』は低予算ゆえに、スマートなスペクタクル映画になる。
作品ラスト近くの5分ほどの長回し。この作品の中で初めて(正確には初めてではない)上下の運動が強調されるシーンが素晴らしい。このときのカメラは何人称の視点か。「ゼロ人称」あるいは「四人称」、「X人称」でもいいだろう。自我を持ったカメラは、「私」「あなた」「彼/彼女」のどれにも属さない「ゼロ人称」の眼差しである。自我を持ったカメラにとって、カットを割ることは「まばたき」と同義である。このシーンで監督はカメラのまばたきを禁止する。当然ながら、それを観る我々もまばたきは許さない。これこそ、映画と観客の理想的な関係ある。カネをつぎ込んで最新技術を駆使すれば一大スペクタクル映画が撮れると勘違いしているハリウッドの巨匠方には、『トゥモローワールド』を観ることで自らの傲慢さに目を向けてほしい。もちろん「まばたき」なしで。
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by sound-and-vision
| 2007-08-28 18:09