2009年 07月 15日
【ひとり】第141回芥川賞候補作【メッタ斬り】 |

やっぱり磯崎憲一郎『終の住処』が頭一つ抜けていると思います。いやー、本当にすごかったです、これは。特に後半。時間に対しての意識とか、なるほど保坂スクールですね。
新たな収穫は戊井昭人『まずいスープ』。鉄割アルバトロスケットの人ですが、小説も書くみたいです。ここまで言うと褒め過ぎかもしれませんが、読みながらレーモン・ルーセルの『ロルク・ソルス』とか後藤明生の『挟み撃ち』を思い出しました。ある一つの物を契機にして「失踪の物語」が「疾走の描写」へとスライドするあたりが『ロルク・ソルス』っぽい。そして『挟み撃ち』の、どこかに紛失してしまった外套を巡って思考することで「現在」と「過去」がゆるやかに混ざり合うことや、『挟み撃ち』の作品中にゴーゴリ『外套』への言及が織込まれることで「小説」と「評論」の区別も乗り越えるような、いわゆる普通の小説の枠に収まらない奔放さが『まずいスープ』にもあると思います。志ん生の『粗忽長屋』の扱い方なんかは特に似ています。
本谷有希子『あの子の考えることは変』もいままでの作品の中で一番いいんじゃないですか?いいですよ多分。
「おっぱいと同一化したい」とか「ダイオキシンの影響でいつかXデーが来る」といった思考の背景にあるのは「大きな物語」の崩壊ですが、たとえばオウムに代表されるように「大きな物語」の崩壊の後には「大きな物語」の捏造があったわけです。それが、おととしの赤木論文でみられるのは「大きな物語」の捏造も通り越して単純に「大きな物」への期待です。「大きな物語」が個人の在り方を規定するものだとすれば、「大きな物」は個人の存在を希薄化するものであって、それが到来したからといってその先の展望がひらけるわけではない。いや、これは『あの子の考えることは変』の物語とは直接の関係はないのかもしれないですが、このような微妙な現代の空気感を的確に捉える技術が本谷有希子にはあるのだと思います。
藤野可織『いけにえ』はそれほど面白いとは思いませんが、もしかすると石原都知事あたりが推すかもなぁと思っています。「都会のソリチュード」枠で。これは「地方のソリチュード」ですが。
ところで、芥川賞と同日に直木賞も発表されます。例年通り、一作も読んでないですが、僕の推理では道尾秀介「鬼の跫音」で決まりです。というのも、芥川賞が磯崎憲一郎『終の住処』だとすると、まだ『終の住処』は単行本化されていないので、当然『肝心の子供』や『眼と太陽』などの過去作が注目されるわけですが、中でも一番売れるのは先月出たばかりの『世紀の発見』でしょう。で、この帯文には佐々木敦氏の絶賛コメントが載っています。18日には磯崎×佐々木のトークショーもありますね。さて、道尾秀介の方はといえば、今月文庫化した『片目の猿』の解説も佐々木氏なわけです。そして7月16日には佐々木敦『ニッポンの思想』が出版されますね。
うーむ、これは偶然の符合なのでしょうか??
(これで『ニッポンの思想』が文春新書とかだったら文壇佐々木敦黒幕説で詰問したいところですが。まぁ実際は黒幕説ではなくて佐々木敦予想予想です、これは。)
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by sound-and-vision
| 2009-07-15 00:28